2021年3月26日 茨木市一般会計に反対討論

2021年3月

議案第25号 2021年度 大阪府茨木市一般会計予算に反対する立場から討論します。

私は市長の施政方針説明を聞いて強い違和感を覚えました。それは市民が普段耳にしないICT、DXという言葉の多さです。32Pの中にICTが7回、DXが4回、加えてデジタル5回、スマート行政運営、キャッシュレス、ギガスクールなどまるで経産省の文書と勘違いしそうです。

また電子自治体の推進、ICTの徹底活用、WEV会議の促進、RPAの活用、GIGAスクールの推進を掲げ「職員の働き方もデジタルに変革する」とありましたが、このような施政方針を一体どれだけの市民が理解できるでしょうか。

私が反対する第1の理由は地方自治体としての矜持が感じられない点であります。

日本国憲法は第八章に地方自治を規定し、住民自治と団体自治を意味する地方自治の本旨を謳っています。団体自治が国の介入を排除し、国と対等に行政を行なうことを目的としていることは議員、行政職員にとっては本来釈迦に説法であります。しかし今回の施政方針を見るとそうではないのかもしれないと疑念を持ってしまいました。

私は一般的な予算編成について特段異議を唱えるものではありません。しかしあまりにも安倍政権や菅政権が進めてきた一連のデジタル政策に何らの疑念を抱かず無邪気に旗を振るような施政方針とその予算を見ると、どこに国と地方自治体の緊張関係があるのだ。いつから茨木市役所は経産省の出先機関になったのかと思ってしまいました。

市が進めるDXは一層の中央集権化を後押しし、地方自治の形骸化につながるものと指摘するものです。

反対する第2の理由はマイナンバー制度を積極的に肯定し、そのための予算になっていることです。

施政方針では積極的なマイナンバーカードの普及促進を掲げ「マイナンバーのさらなる普及促進につきましては、カードの交付特設会場の設置を継続するとともに、出張申請サポートを状況に応じて実施します」と書いています。

デジタル法にとってマイナンバー制度は基盤システムとなります。そしてマイナンバー制度は当初から住民に国民総背番号制として12桁の番号をつけ、国民を管理支配するツールとして想定されていました。

現在は税、社会保障、災害対策の3領域に限定していますが、将来は健康保険証、運転免許証、所得や商品・サービスの購入履歴など生活全般にわたって紐付けが言われています。

実際、コロナ危機に乗じて医師や看護師の国家資格だけでなく医療データや教育データまでマイナンバー制度にひも付けようとしています。

個人情報漏えいの恐れも常に付きまとい、権力者が番号一つで個々人のプライバシーを覗き見ることも可能にします。

ネット検索すれば、現在は警察官が持つカード読み取り機は免許のデータしか読みとれないが、免許証と一体化すれば、マイナンバーカードに交通違反や職務質問など警察官が集めた情報を入れ込むことは容易に可能であり、免許証を読み取れば、私たちの動向が把握できる「警察国家」へと道を開くことになるとの指摘もされています。

政府は、「マイナンバーカード」をすべての人に持たせ、〝デジタル社会のパスポート〟と位置付け、デジタル社会があたかもユートピア・理想郷であるかのような幻想をふりまいています。

しかし私は邪悪な支配者が存在することがいとも簡単に想定できる昨今の状況からすればユートピアならぬディストピア、地獄、暗黒に満ちた社会へのパスポートとしか思えません。

マイナンバーカードはこのような国家が個人情報を一括管理することへの不安と危機感、また個人情報の漏出による精神的、経済的不利益もあって、普及率は遅々として進まず昨年年4月時点で16%、マイナポイントのえさで誘導しても、今年1月現在で24・6%にとどまっています。

施政方針に3回出てくるキャッシュレス決済は「便利」「ポイントがつく、得をする」など利便性が強調されますが、誰が、いつ、どこで、なにを買ったのかなどの情報がすべて把握されることになります。

中国の調査会社の報告によれば中国国内の顔認証決済ユーザーは2019年1億1800万人に達したことが伝えられ、2022年には7億6000万人まで増加すると予測されています。

利便になればなるほど、それに比例して権力者に自己情報を提供することになります。「マイナポイント」も、マイナンバーカードとキャッシュレス決済を普及させるためのえさでしかありえません。

現在国会は予算審議とともに、デジタル改革関連法案が最大の焦点になっています。
本市がこれを肯定しているのは施政方針からも明らかです。
菅政権が最も力を入れている、このデジタル法とはいったい何物なのでしょうか。

デジタル庁法の本質は別名デジタル監視法案ともいわれており、国家が全個人情報を管理し、監視社会、警察国家へと道を開くものです。

本市の施政方針、それに基づく予算編成にはそのことについて、知ってか知らずか何の躊躇も警戒心もありません。

施政方針説明では「次なるDX(デジタル トランス フォーメーション、デジタル技術によって事業を抜本的に変革すること)」として、電子自治体の推進、ICT(情報通信技術)の徹底活用、WEV会議の促進、RPA(人の代わりに単純作業をこなしてくれるツール)の活用ばかりか、職員の働き方までも「デジタルに変革する」に至っては、そのはしゃぎぶりに首をかしげるものです。

次に反対する第3の理由は施政方針の中で「国から求められている令和7年度までのシステムの標準化を踏まえ、標準システムへの移行時期を検討します」とあり、自治体を国の出先機関化するものであり、地方自治体の誇りが感じられないことです。

デジタル庁「構想」は、全国の自治体でバラバラの情報システムを標準化するとしています。茨木市始め、各自治体は長い年月をかけて、自分の地域にあった教育や福祉などのシステムを構築しています。

自治体ごとにシステムが異なっているのはそれぞれの自治体が個性を持っているからで当たり前のことです。これを国のシステムに統一することは、自治体を国の出先機関化することにほかならず、自治体の個性の喪失、地方自治の破壊に他なりません。

また個人情報の保護についても自治体ごとに制定されてきた個人情報保護条例を国の個人情報保護法にあわせるものです。

国は「国と地方で情報共有を容易にするためのシステム標準化と個人情報を一本化する」と称して、アマゾンのコンピュータシステムであるAWS(アマゾン・ウェブ・サービス)を「第2期政府共通プラットフォーム」に採用し、すでに稼働が始まっています。

個人情報保護基準が国の低い水準で一本化され、コンピュータシステムまで一本化されるとなれば、戦後の地方自治制度の根幹が否定され、戦後の歩みは何だったのか。まさに戦前の中央集権・内務省の復活といわなければなりません。

東京の小金井市議会が「法律による自治体の個人情報保護制度の標準化に反対する意見書」を全会一致で採択、国立市議会、あきる野市議会も慎重な検討を求める意見書を採択していますが、これは当然のことであります。

破れた履物を捨てるように、何の未練もなく捨て去ることを、弊履を棄つるが如し(へいりをすつるがごとし)といいますが、本市は自らの個人情報保護制度をまさに弊履を棄つるのかと指摘するものです。

反対する第4の理由は市が進めるDXが、市が保有し保護してきた個人情報を産業界の利益のための活用につながるものだからであります。

政府は自治体が持っている個人情報などのビッグデータを利活用したい産業界の意向に沿って2016年には「非識別加工情報」の仕組みを作り、今国会では個人情報保護法、行政機関個人情報保護法、独立行政法人等個人情報保護法の3法を一本化する動きをしています。前半の本会議でも指摘させてもらいました。

デジタル庁の検討会議で、慶応大学・宮田裕章(みやた ひろあき)教授は「データ共同利用権」を提起しています。これは、本人の同意がなくても「相当の公益性」があれば個人情報を共同で利用することを権利とするものです。

これは自己情報コントロール権、みずからの情報をみずからコントロールできる権利とは真逆の考え方で、権力者が私益(個人的な利益)のために「公益性」があると判断したことにすれば、個人情報が共同利用されることになります。

このような動きに対して全国市長会、全国市議会議長会からは、個人データの利活用、検討の進め方に懸念表明がなされ、自治体が納得できる形で、慎重丁寧に検討を進めてほしい趣旨で要請等を行ってきましたが当然のことであります。

本市の国への迎合姿勢には基本的人権であるプライバシーへの配慮はどこにもないのかと指摘せざるを得ません。

 反対する第5の理由は本市が進めているDXがJ―LIS(地方公共団体情報システム機構)の独立性が失われ国家管理に変わることの黙認になるからです。

現在、マイナンバー制度の根幹はJ―LISが担っています。地方公共団体が共同で運営し、事実上は総務省の天下り職員が関与しているものの組織上は国から独立しています。

住民総背番号制度の技術的核心は、各省庁・自治体に分散して存在する個人データの各人の識別番号に唯一無二の共通の背番号(マイナンバー)を使い、突き合わせ・マッチングで特定の個人の情報を一カ所にあらいざらい集め(名寄せ)して利用することを可能にする点にあります。現在は、そうさせないためのさまざまな法的・技術的制約が設けられています。

ところが今回の法改悪ではJ―LISを国と地方の共同団体の管理に変え、デジタル庁と総務省で共同主管し、デジタル大臣と総務大臣が目標設定・計画認可と事実上の国家管理化を狙っています。

J―LISが国の管理となれば、住基ネットとマイナンバー制度が全住民への総背番号制度に化けるのは火を見るよりも明らかです。

さらに私はデジタル関連法案についても多くの国民が反対した秘密保護法、共謀罪同様の強い警戒心を持っています。

官邸・内調(内閣情報調査室)と並んで内閣総理大臣を長とし、デジタル情報を集約するデジタル庁が内閣府を構成する官庁として、すべての省庁に君臨するような形になれば、「内務省」をもしのぐ怪物的な機関が誕生してしまう恐れがあると指摘されています。

またデジタル庁が集約した情報は、官邸・内調を介して警察庁・各都道府県警察と共有される可能性があることも指摘しておきます。

次に反対する第6の理由は、DX推進が経済格差、新たな分断を生むからです。

DX推進のための予算ですが、DXに期待する市民が一体どれだけいるのでしょうか。パソコン、スマホを意図的に使わない、また使えない人にとって、デジタル、ネット社会が新たなバリアになっており、デジタル・ディバイド、情報通信技術、特にインターネットの恩恵を受けることのできる人とできない人の間に生じる経済格差が新たな社会問題として浮上しています。

不慣れな人でもできるようにサポートするとの答弁でしたが、上から目線的なものを感じます。

またいくらサポートしてもできない人がいるし、そもそも扱いたくない人もいます。
この人たちが経済的な不利益を被るだけでなく、この人たちへの蔑視や排除になるのではないか、またついていけない人が劣等感を抱くことも想定されます。

総務省のDX推進計画には地域社会のデジタル化が出てきます。施政方針にある「職員の働き方もデジタルに変革する」と同様、デジタル社会に地域社会が合わせる、市民も合わせるという動きに、国家のための国民というとんでもない戦前思考を感じるのは私だけでしょうか。

本来、市民のために国や自治体があり、市民に国や地域社会が合わせ寄り添うのが民主主義社会であります。DX推進の中で個々の人間に対する尊敬の念が失われ、民主主義も軽視されていくように感じています。

反対する第7の理由は、経産省主導で進められているGIGAスクールに対して本市が教員、児童生徒に多大な負担を押し付けるばかりか、本市も多大な出費を強いられていることです。

先日届いた日本教育新聞3月15日の1面に経産省がデジタル教材を無料公開とありました。意外に思いますが、そもそもGIGAスクールは経産省主導で推進されてきたものです。
GIGA構想は、2019年度補正では「安心と成長の未来を拓(ひら)く総合経済対策」、20年度補正では「新型コロナウイルス感染症緊急経済対策パッケージ」の一環として、つまり経済対策として実現に至ったものです。

文教委員会の質疑の中でも、GIGAスクールが児童生徒、保護者、教員など現場からの要望によるものでは一切なかったこと、また本市教育委員会でもGIGAスクールに対して積極的な意見がなかったことも明らかになりました。

すべてはIT企業や教育産業の利益のために経産省の経済政策として出てきたものであり、教育の観点から出てきたものではありません。羊頭狗肉という言葉がありますか、まさにそのものであります。

また、教員のタブレットの取り扱いについて、委員会時点でははっきりしたものはありません。教員が経験したこのないタブレット教材を使って授業をすることの負担、また児童生徒がタブレットを使っての自宅学習、その履歴をパスワード使ってチェックするなど、もう漫画の世界であります。

しかし笑えないのは現在でも教員が過労死を招きかねない長時間労働を強いられているからです。答弁の中で月に80時間を超える時間外労働を強いられている教員が小学校でこの3年間平均で2、2%、中学校では20.7%にも及んでいるからです。

ここに慣れないタブレット授業が職務に加われば深刻なストレスに繋がることは明らかであり、長期休職、退職される教員の増加につながるものと指摘します。

また肝腎要の学習効果について、私はいくつも紙教材がデジタル教科書よりも優れている根拠を示しましたが、教育委員会は何ら説得力のある根拠は示せないままでした。

児童生徒への健康への配慮も全く感じられません。
スマホの人体への影響としては若年性老眼・ドライアイ・眼精疲労などがあげられています。

またスマホ依存症としては自分の意志でやめられない、目の前のことに集中できない、食事もトイレもお風呂もジムもベッドもスマホと一緒、スマホがないと強烈な不安に襲われる症状があります。

高校生の1割はスマホ依存症、推計で約52万人がスマホ依存症であり、予備軍を含めると70万~80万人の子供が該当するという説もあります。

このようなスマホ依存症の状況がある中で、これに学校、自宅でのタブレット学習が加わればどうなるのか。子どもたちへの健康被害がはっきりしている中で導入するなどありえない話だと指摘するものです。

また教科書選定も現在は市民の意見を聞く手続きを経て決定していますが、これも後退を強いられることは必至と言わざるを得ません。

次に本市の財政負担が強まる危険性です。
GIGAスクールに対する本市の負担が1サイクルとなる5年間で10億円になるとの答弁がありました。これは国が導入するための補助金があってこれだけで済んでいます。

しかし次の5年サイクルに対し国が金を出すことは決まっていません。市長も国に要望すると力を込めて答弁しましたが、国があとは野となれ山となれの姿勢をとる可能性は高いと考えています。

GIGAスクールをやめれば10億円で被害はすみますが、続ければどれだけの経費負担になるか予想もつきません。まさに蟻地獄ならぬGIGA地獄です。ここにはまっている分、必要、かつ切実な経費が削られることになります。

そもそも私はGIGAスクールに反対ですが、賛成であっても将来にわたって国の補助金が不明な中で導入するなどありえない話です。

どんなに貧乏や金持ちであっても、障がいがあっても、同じ教室で共に学び、ともに遊びながら育っていく。子どもたちが多様なら、教員も多様であるべきなのが学校であり、公教育といえるものです。そしてそれを保障するのが教育行政の役割だと私は考えています。

しかしGIGAスクールは小中学校を巨大な市場としか見ない業界が個別最適化を名目に、子どもたちが共に生きていく可能性を奪い、また公教育を破壊するものであります。

「次なる茨木」が主体性を持って日本国憲法の精神を体現し、国や大阪府に対して是々非々の立場をとり、また住民福祉の向上や市民の幸福追求に寄与するものであってほしいと念願して、私の反対討論を終わります。ご清聴ありがとうございました。

※こちらの記事は旧ホームページの内容を移植した物で、日付も当時のものです。